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2019年12月18日

眼鏡の使用目的

新しくめがねを作りに行った。
以前一度挫折した遠近両用。
今度はちゃんと慣れて、使えるようになるといいな。
だって、DQウォークやってて、出先で画面がよく見えないのじゃよ。
実は、中近両用は、TVでDQやりながら、メモを取るために作ったのだった。
DQはもう一つの人生、ではすまなくなっている。
そんな自分が、けっこう好きだ。
ラベル:DQ
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2019年12月13日

小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代【読書メモ】

【読書メモ】……「読書感想文」でもなく、「レビュー」でもなく、ましてや「書評」でもない、きわめて個人的な読後感をつらつら書いておくもの。「自分が後から振り返った時にわかればいいただのメモ」です。すべてにおいて「意見には個人差があります」はお約束。どうぞご了承くださいませ。

ある意味、タイトルに偽りあり。副題の「料理研究家とその時代」が本当のタイトルかと。
料理研究家の歴史と女性史が混在している部分があり、読みにくく、盛りだくさんなところもあるが、内容は興味深い。
明治時代に誕生した料理研究家。
大正から昭和初期には、実用雑誌(主婦之友など)で都会の中流層のサラリーマンの妻を対象に、洋食の料理指南。
戦争で中断されたが、戦後、台所の進化と新しい素材、新しい料理法の流入が勢いを増し、女性の地位、意識や立場も変化。
テレビが登場、雑誌の種類が増えメディアの影響力が格段に大きくなり、料理研究家の時代が本格化。

「本書に登場する料理研究家」(7ページのマトリクス)には、以下の16人の名前が載っている。
江上トミ1899-1980 
飯田深雪1903-2007 
辰巳浜子1904-1977 
土井勝1921-1995 
入江麻木1923-1988 
辰巳芳子1924- 
城戸崎愛1925- 
村上昭子1927-2004 
小林カツ代1937-2014 
有元葉子(非公開) 
栗原はるみ1947- 
土井善晴1957- 
高山なおみ1958- 
栗原心平1978-
ケンタロウ1972-
コウケンテツ1974-
外国料理へのあこがれから、時短料理術、あえて主婦を前面に出すカリスマ主婦、和食指導の変遷、平成の男子ごはん。

個人的な話だが、私が子供の頃母がよく見ていた料理番組では、土井勝あたりが活躍していた。
母は、独身時代に料理教室へ通い、主に西洋料理を学んだようだった。
主婦になってから、雑誌やテレビであらためて覚えていたのは、土井勝的な家庭の和食。
それを見ていた私は、何か逆のような気がしていたのだが、それがどういうことなのか、わからずにいた。
本文にもあったが、昭和ケタの人たちは、親から引き継いだものがないという。
子供時代(親にごはんを作ってもらっていた時期)は、豊かでなく、戦争も始まり、落ち着かない日々。
中学、高校時代は、食糧難。
社会に出て親から離れれば、日常生活で親から受け継ぐこともない。
母の得意料理が、伝統的なものでないことに、違和感を感じていたのは、そこに理由があったのかもしれない。
そしてまた、母から私への引き継ぎもなかった。
母は、教育ママではなかったが、料理を教えることよりも、子供の勉強時間を作り出すことの方が大事だと思っていたのだろう。
私が興味を示した場合も、ほとんどやらせてくれなかったし、手伝わせようともしなかった。
手伝わせると、かえって邪魔になるのも事実だったから、それを避ける意味もあったのかもしれない。
そんなわけで、私はほとんど料理ができないまま主婦になった。
そして、自分が主婦になったばかりの頃、頼りにしたのは、村上昭子、小林カツ代、有元葉子。ここ10年くらいは、高山なおみ。
結婚して数年は、オレンジページをかかさず買って、スクラップした。
NHKのきょうの料理も、一年間はテキストを買って番組を見たし、その後も、金子信雄の楽しい夕食など、いつも録画していた。
自分では、料理は好きだと思っていたし、そこそこ普通の料理はしていると思っていたのだが、実はそうでもないことが、20年後くらいに発覚する。(この話をすると長くなるので割愛)

自身は、西洋料理へのあこがれとか、華やかな料理には、あまり興味がなかった。
それでも、結婚当初は、お客様が来たら、とか、誕生日には……などという夢もあった。
しかし、もてなさないといけないような客は滅多に来ないし、いざ来るとなっても何を作ればいいかわからず、不本意な料理でお茶を濁していた(気心の知れた友人は除く)。また、誕生日に頑張ってみても、夫は全然喜ばないし、いつしかお客が来ることもなくなり、ハレの料理、ごちそうは、作る必要がなくなった。

小林カツ代は好きな料理研究家だった。
いんげんと豚肉のしょうが煮は、今でもうちの定番レシピ。
ひとつの鍋で、ポトフと肉ロールができあがるもの(たしかきょうの料理の「20分で晩ご飯」)も、忙しい頃良く作っていた。
一方、タイトルにあるもう一人の料理研究家は、私の中では天敵(失礼!)だった。(こちら参照

家庭料理を支える仕事として成り立ってきた「料理研究家」。
女性(主婦)の助けとなるものから、生きていくために食べるすべての人を支える立場に変わってきている。
家庭の家事分担は、もめ事の種ではある。
しかし、食べることは生きること。ひとり暮らしでも、食べて生きていかねばならない。
男でも、女でも、そうでなくても、人間は、生きていくためには、ごはんが必要なのだ。
外食、中食もあるけれど、色々な意味で、それだけでは足りない。
そこをサポートしてくれるのが、これからの料理研究家なのかもしれない。

ラベル:本2019
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2019年12月11日

「小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代」の前に

きわめて個人的な読後感



この本のタイトルは「小林カツ代と栗原はるみ」で、内容は「料理研究家とその時代」と副題にあるとおり、料理研究家論なのだが、読む前、そして読み終わってからも、「○○と○○」(対照的)という点で、個人的なイメージは「有元葉子と栗原はるみ」である。

以下の文は、本の内容とはほとんど関係がないのだが、思ったことを正直に書く。中には気分を害される方もいらっしゃるかもしれないが、ご容赦いただきたい。(文中、敬称略)

1990年代(個人的には結婚直後〜約10年)、「カリスマ主婦」という名称が生まれ、双璧をなすのが有元と栗原だった。
どちらのファンであるかで、主婦としてのスタンスが見きわめられたりもした。
私はといえば、ひとことで言えば有元派だった。
作りたいと思う料理は彼女のレシピの方だったし、おせち料理も彼女のレシピを使った。
著作の「わたしの日常茶飯事」、「ためない暮らし」(こちらはかなり後になってから)なども興味深く読んだ。
ただ「カリスマ主婦」とは、料理だけでなく暮らし全般をお手本にするようなものだったが、料理以外の部分は、有元についていくことはしなかった。
後述とは矛盾するが、当時から彼女の生活は、栗原よりも、一般的な暮らしからは現実離れしていたように思う(記憶が確かなら、すでにイタリアでの生活をしていたり)。
あこがれはしても、そのままを真似することは、したくても難しかったかもしれない。
それでも私は「有元派」だった。
はっきり言おう。ファンの方には申し訳ないが、当時私は栗原が大嫌いだった。
彼女の料理には必ず「家族」がついて回った。
家族のために作り、家族がおいしいといってくれる、それが幸せ、というようなことを、いつもいつも言っているのが鼻につき、腹立たしくさえ思えた。
当時、私は子供ができないことに悩んでいて、不妊治療もしていた。
また、自分では一生懸命料理はしていたつもりだったし、それなりの味だったと思う(友人に振る舞った料理は普通には通用していたし、いまだに当時の料理をほめてくれる知人もいる)。
ところが、夫は私の料理を一度たりともおいしいと言ったことはなかった。さらに痛恨の一撃だったのは、彼が初めて「バツグンにうまい」と言ったのは、それまで手作りしていたそばつゆを、市販に切り替えた直後だった。
欲しい「家族」は増えないし、「家族」はちっとも応えない。
彼女が言う「家族(夫と子供)のために作れば」「家族は応えてくれる」という法則はでたらめとしか思えなかった。
料理を作るだけなのに、そんなに「家族」「家族」言うな!それが本心だった。
さらに、これはもう、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い的に聞こえてもしかたないのだが、私はもともと、襟ぐりが大きくあいた服とボーダー柄が嫌いだった。もっといえばソバージュヘアの人も苦手だった。運悪く彼女はそれらがすべて当てはまってしまっていたのだった。

いつしか「カリスマ主婦」という言葉は聞かれなくなり、最近は有元をTVで見かけることはほとんどない。栗原は時々見かけるが、ある時期を境に、私が嫌悪していた栗原とは違った面が見られるようになった。
栗原が変わったのか、私が変わったのかは定かではないが、彼女のTV番組を見たり、たまに「haru_mi」を購入するまでになった。(一番大きな理由は、半分冗談ではあるが、ソバージュでなくなったからかも)
それでも、「家族のため」は、私にとって今でも呪いの言葉ではある。
私が気に入って定番にしたいと思った彼女のレシピも、夫には不評だ。
だが、そこはもう、あきらめた。有元であれ、栗原であれ、私は彼女たちにはなれない。
なれない、というのは、真似できないという意味ではなく、「私は私である」ということ。「私は私でよい」ということ。
自分自身のあり方、家族との距離、つきあい方。それらは、自分が納得して、自分が思うとおりに突き進むしかない。思うとおりに生きればいいのよ。あれ、ターシャっぽくなった?
ラベル:本2019
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2019年12月09日

DQ6発売記念日



1995年(平成7年)12月9日 SFC版DQ6発売だったそうだ。
そ、そんなに経つのか(滝汗)
たしか大みそかから元旦にかけて思いっきりやって、玄関ポストに朝刊が届き、三が日が過ぎた頃、具合悪くなったんだっけ?(遊びすぎ)
6は今でも大好きな作品。
ラベル:DQ
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2019年12月08日

電車だったらしい

昨日の「ブラタモリ」は、岩手県花巻だった。
宮沢賢治にちなんで、ぶらぶらしたのだが、一番衝撃的だったのは、銀河鉄道が電車だったこと。
実はワタシは、「銀河鉄道の夜」を読み通したことがない。
「銀河鉄道」というと宮沢賢治よりも、999が浮かんでしまったりする。
んで、999は蒸気機関車っぽい、っていうか蒸気機関車型?だったもんで、本家(賢治)の方も、あれを想像していた。
何かのイメージ画とかも、蒸気機関車ではなかったか?
いや、客車の部分だけだと思った絵は、実は電車だったのか?
賢治の童話を読めば、蒸気機関車ではなく電車のような描写があるらしい。
「青空文庫」で、近々読んでみることにする。
余談だが、「電車」の正式名称?は「電動客車」だそうだ。少し前に“チコちゃん”でやっていた。
ラベル:本2019
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2019年12月06日

本について書く記事をなんと呼ぶかで迷っている&百姓貴族6購入

読んだ本の内容を、ある程度覚えていたいとか、感じたことを書いておきたいとか、読んだこと自体を記録しておきたいとか、そんな理由でここに読後の記事として書いておきたいのだが、その名称で悩んでいる。
「感想」だと、学生時代苦労した「読書感想文」を思い出すので、個人的にはイメージが悪い。
「レビュー」は、レビューという言葉自体を、私自身が理解していないので、使えないし、使いたくない。
ましてや、「書評」と言えるほど、客観的でまった文章は書けない。
「読書メモ」くらいが無難かと思う。
かつての自分のサイトでは、本の記録のコーナーを「ほんのむし」と題したり、リアルでは読書ノートを作ったりしていた。
でも、今さらながら、本の虫と名乗れるほどの読書量ではないし、記録を残すと言っても、個人的なつぶやきでしかない。
そんなぐだぐだ言うなら、書かなきゃいいじゃん、とも思うけれども、やはりここに残すことが、ワタシの生きている証拠でもあるので(大げさかもしれないけど)、何かは書いておきたいと思っている。
「ほんのメモ」(本のメモ、ほんのちょっとのメモ)、「ほんのーと」「ほんnote」(本についてのノート、ほんのちょっとのノート)。
メモかノートか。備忘録という日本語も浮かんだのだが、それはメモだな。
ははは、悩め悩め(笑)
そうそう、百姓貴族6巻は、あの記事を書いてからわりとすぐに、最初に行った本屋を再訪し、めでたくゲットした。
ペーパーがついていて、うれしかったでござるよ。
 

追記(自分メモ)
そう言えばつい最近、本関係のタグを「本+年号」と決めたのだった。なので読後感等の記事のタイトルに「(読書メモ)」と付ければいいのでは?まあそんな感じで行こう。
191207
ラベル:本2019
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2019年12月05日

浦島太郎的買い物

かなり久しぶりにF太郎へ行ったら、商品の配置がずいぶん変わっていて、売り場をぐるぐるしてしまった。
以前購入した、気に入っている洗濯ネットは、もう置いていないようで買うことができず。
レジで、Bオフェルミン350錠くださいと言ったら、おねいさんが売り場へ取りに行ってくれた(以前はレジの後ろの棚にあった)。すまん。
それなのに、ポイントがたくさんつく日で、500円券が発行されたでござる。
数年前までは、良く買っていた店だった。
似た店が近くにできてからは足が遠のいているのだが、近所の店であることには変わりなく、たまにはのぞいた方がいいなと、なんとなく思ったのであった。
posted by きるしゅ at 20:57| Comment(0) | 日常1810〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月25日

まだ手に入らず(百姓貴族6巻)

11/22の発売を心待ちにしていた百姓貴族の新刊。
発売日に、いつも行く書店をのぞいたが、なぜか見つけられず。
以前買った時は平積みになっていて、すぐ買えたのに。
でも、お店の人に尋ねる勇気がなくて退散。
ネットで買おうかと思いつつも、最近は、本はなるべく実店舗で買うことにしているので、もう少し近隣の書店で探すことに。
土日は外へ出なかったので、今日は、隣駅方面へ出かけたついでに、そちらの書店をのぞくと、なんと「百姓貴族6巻は11/26入荷」というポップが立っていた。
ありゃあ、もしかしたら、最初に行った店もそんな感じなのか?
実は、最初に行った店は、特典がつく店だということを昨日知った。
だからできれば、そこで買いたい。
さらに調べてみたら、その系列の店すべてで、まだ取り扱いがない模様。
ああ〜〜〜〜っ?
まだ、売ってないんかいorz

追記
上の記事を書いてから、なんとなくヘンだなーと思っていたのだが、そのわけがわかった。
ワタシが最初に行った店は、なんと!特典がつく店ではなかった(大笑い)
いや、書店の名前がね、似ているんだけど、ちょっと違和感があって、なんかヘンな気がしていたんだ。
今回特典がつく店は、同じスーパーがリニューアルする前に入っていた本屋で、今ある本屋じゃないんだよ。
ってことは、だ。特典がないなら、ネットで買ってもいいってことでもある。
もちろん、実店舗で買うという、自分ルールからは外れてしまうのだが。
いずれにせよ、特典はつかないので、どこで買ってもいいということに。
よく考えたら、その店に入荷してから買えばいいわけだ。
なにやってんだろうね、ワタシ(汗)
ラベル:本2019
posted by きるしゅ at 14:42| Comment(0) | 日常1810〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月21日

DQウォーク 4のイベント

DQ関係は、自分が進めているゲーム(主に11、他に3と4)があるので、DQウォークはテキトーにやることに決めたのだが、なんと、大好きな4のイベントが始まってしまった。
12/26までみたいなので、それまでは、イベントを進めることにする。
さっそくミネアが助っ人になったんだが、助っ人だかなんだか、よくわかんない。
でも、ミネアさんがいてくれるだけで、4って感じがする。
それに、「大きなパン」って。トルネコの大冒険?
ともかく、ずるずると、DQウォークから離れられず(汗)
ラベル:DQ
posted by きるしゅ at 21:18| Comment(0) | 日常1810〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月16日

近頃のつぶやき

DQウォーク。先に進むにはレベルに達していなくて、本編進まず。
あまり歩いていないせいもあるが、自宅(リアルの)での雑魚戦や、においぶくろ戦をほとんどやっていなくて。
まあ、ウォークは、こんな感じでいいかなとも思う。
スマホを手に自宅で雑魚戦するなら、4(スマホ版)をやった方がいいし、3DS版11をやった方がもっといいはず。ホントにやりたいのは、そっちだから。
あと、近年になく、心を揺さぶられている本がある。東京百景(又吉直樹著)。
ヘウレーカが好きで、番組はよく見ている。火花も読んだが、東京百景。図書館で借りて、まだ半分も読んでいないけれども、買って手元に置きたいと思っている。
なんか、じわじわくるな、この本。
ラベル:本2019 DQ
posted by きるしゅ at 18:18| Comment(0) | 日常1810〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする