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2019年12月31日

と思ったのだが&さよなら2019

昨日の続き。
えあ草子がスグレモノで、とても気に入ったのだが、一夜明けてふと考えた。
私にとって青空文庫は、文庫本のようなもの。
手近にあってぱっと手にとってすぐ読める本、である必要がある。
残念ながらPCはそうはいかない。
スマホで読むなら、スマホアプリの方が扱いがいい。
でも、PCで読む時は、えあ草子を使おう。
が、脱スマホ……悩ましいなあ。

脱スマホを考えているということは、旅かえるやDQウォークも引っかかってくるのだ。
旅かえるは、現時点でもたまに開く程度にまったり続けているので、このペースで行けばいいかなと。
DQウォークは、実は最近はあまりやっていない。
せっかく4のイベントがあったんだけど、うまく乗れなくて。
それにウォークモードがあるにせよ、結局は出先でスマホを気にしていなくてはならず(バッテリーも)、連れがいる状態ででかけることが多いので、気もそぞろな感じになるのが、なんとなく後ろめたい。
やはりDQはちゃんとゲームで楽しもうと思う。
来年中には、11をクリアしたい。
DQウォークも、気が向いた時はやるつもり。スラミチもかわいいし。
大みそかの午後三時にブログを書くなんて、何年ぶりだろう。
昔は大みそかはヒマで、毎年PCいじってた気がする。
色々あったが、今でもどうにかまあまあ元気に暮らしている。
来年もここに、DQのことや、本のことや、思うことなど、書いて行けたらいいと思う。
ラベル:DQ 本2019
posted by きるしゅ at 15:10| Comment(0) | 日常1810〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019読んだ本一覧

01 散文 谷川俊太郎 180825-190802
02 風が強く吹いている 三浦しをん 181205-190224(文庫本購入で再読)★
03 40歳からの不調がみるみる良くなる体の使い方 岡田慎一郎 190111
04 体の使い方を変えればこんなに疲れない! 岡田慎一郎 190213-0216
05 仏果を得ず 三浦しをん 190225-0303(文庫本購入で再読)
06 医者に「運動しなさい」と言われたら最初に読む本 中野ジェームズ修一 190312-0323
07 皇室、小説、ふらふら鉄道のこと。 原武史 三浦しをん 190508-0520
08 雪の階(きざはし) 奥泉光 190709-0722
09 毎日、牛まみれ 牛川いぬお 190628-0629★
10 魯山人の料理王国 190802-0819
11 聞く力 心をひらく35のヒント 阿川佐和子 190819-0827
12 ギリシア神話 石井桃子編訳 のら書店 190828-1112
13 うらさだ さだまさしとゆかいな仲間たち 案内人 寺岡呼人 190913-0923
14 何があっても前を向いて ターシャ・テューダー 191008-
15 東京百景 又吉直樹 191112-191124★
16 地球図青空文庫) 太宰治 191125-191128
17 百姓貴族6 荒川弘 191127-191128
18 東京八景青空文庫) 太宰治 191128-191129
19 忘れえぬ人々青空文庫) 国木田独歩 191201-191202
20 小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代 阿古真理 191203-191209
21 たった1か所を「眺める」ことで始まる! 人生を変える片づけ 井田典子 191214-191229
22 銀河鉄道の夜青空文庫) 宮沢賢治 191229-

20冊(作品)読了
14,22は来年に継続
★今年のベスト3
ラベル:本2019
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2019年12月30日

えあ草子導入

どうもスマホを手にすると、だらだらと見続けてしまうので、来年は「脱スマホ」を考えている。
電話やメールは手放せないが、PCでできることはPCからすることに。
ただ、最近気に入っているのが「青空文庫」。
なんたって、タダで名作が読めるのだから、貧乏な中高生だったかつての自分からすると、夢のよう。
でもやっぱり、だらだらスマホにつながってしまう。
PCだと横書きのままで読みづらいし風情がない……と思っていたら、えあ草子なるものを発見。
すごく良いのがあるじゃないの。
銀河鉄道の夜、スマホで読み始めたけれど、続きはPCから読もう。
まあ、PCでもだらだらはできるんだが(汗)、スマホよりはマシなので……
それに読みやすい。とっても読みやすい。えあ草子ばんざい。
ラベル:本2019
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2019年12月27日

“はちみつ”は来なかった

図書館に予約してある「蜜蜂と遠雷」。この間からさらに進んで、2番目までこぎ着けたが、図書館が開いているのは今日まで。
うーむ、年末年始の休みを挟むと、3週間借りられることになるのだが、だめそうだ。残念。
代わりに実家から持ってきた「火花」を再読しよう。
ラベル:本2019
posted by きるしゅ at 13:57| Comment(0) | 日常1810〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月24日

こんな夢を見た

誰かと私の会話。
私「シューベルトの“つり”っていうの、あるでしょ」
誰か「そんなのあったっけ?」
私「ほら、歌もあって、五重奏かなんかもあるヤツだよ」
誰か「えー、どんな曲だっけ?」
私「♪〜きよきながれーを ひかーりはーーえーてー まーすははしれ……」

つりじゃなかった(汗)
ラベル:こもごも2019-
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2019年12月20日

冬のイベント(旅かえる)

あれ?お庭の風景が変わった?
と思ったら、今年も冬のイベントが始まった模様。
マフラー持たせてみるけど、どこへ行くやらヒルトネン。
posted by きるしゅ at 17:21| Comment(0) | 日常1810〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月18日

はちみつとかみなり(違うよ)

ひと月ほど前、図書館に予約を入れた。
その時は、たしか30人近く予約が入っていて、こりゃなかなかだなー、半年くらいは待たされるかなあと思っていた。
ただ、調べてみると、蔵書が多いようなので、思ったより早いかなとも。
本の題名は蜜蜂と遠雷なのだが、どうしても「はちみつ……」と思ってしまい、あ、違うみつばち……
はちみつの順番、何番になったかなー、サイト確認、あ違うみつばち……
を何度か繰り返して、おととい図書館サイトで確認したら、10番目くらいに。そして今日、6番目。
けっこう早いかも?できれば、年末年始休みの前に順番が来たらうれしい。
はちみつとかみなり。うん。なんか、違う本がやってきそうだ。
ラベル:本2019
posted by きるしゅ at 21:40| Comment(0) | 日常1810〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

眼鏡の使用目的

新しくめがねを作りに行った。
以前一度挫折した遠近両用。
今度はちゃんと慣れて、使えるようになるといいな。
だって、DQウォークやってて、出先で画面がよく見えないのじゃよ。
実は、中近両用は、TVでDQやりながら、メモを取るために作ったのだった。
DQはもう一つの人生、ではすまなくなっている。
そんな自分が、けっこう好きだ。
ラベル:DQ
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2019年12月13日

小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代【読書メモ】

【読書メモ】……「読書感想文」でもなく、「レビュー」でもなく、ましてや「書評」でもない、きわめて個人的な読後感をつらつら書いておくもの。「自分が後から振り返った時にわかればいいただのメモ」です。すべてにおいて「意見には個人差があります」はお約束。どうぞご了承くださいませ。

ある意味、タイトルに偽りあり。副題の「料理研究家とその時代」が本当のタイトルかと。
料理研究家の歴史と女性史が混在している部分があり、読みにくく、盛りだくさんなところもあるが、内容は興味深い。
明治時代に誕生した料理研究家。
大正から昭和初期には、実用雑誌(主婦之友など)で都会の中流層のサラリーマンの妻を対象に、洋食の料理指南。
戦争で中断されたが、戦後、台所の進化と新しい素材、新しい料理法の流入が勢いを増し、女性の地位、意識や立場も変化。
テレビが登場、雑誌の種類が増えメディアの影響力が格段に大きくなり、料理研究家の時代が本格化。

「本書に登場する料理研究家」(7ページのマトリクス)には、以下の16人の名前が載っている。
江上トミ1899-1980 
飯田深雪1903-2007 
辰巳浜子1904-1977 
土井勝1921-1995 
入江麻木1923-1988 
辰巳芳子1924- 
城戸崎愛1925- 
村上昭子1927-2004 
小林カツ代1937-2014 
有元葉子(非公開) 
栗原はるみ1947- 
土井善晴1957- 
高山なおみ1958- 
栗原心平1978-
ケンタロウ1972-
コウケンテツ1974-
外国料理へのあこがれから、時短料理術、あえて主婦を前面に出すカリスマ主婦、和食指導の変遷、平成の男子ごはん。

個人的な話だが、私が子供の頃母がよく見ていた料理番組では、土井勝あたりが活躍していた。
母は、独身時代に料理教室へ通い、主に西洋料理を学んだようだった。
主婦になってから、雑誌やテレビであらためて覚えていたのは、土井勝的な家庭の和食。
それを見ていた私は、何か逆のような気がしていたのだが、それがどういうことなのか、わからずにいた。
本文にもあったが、昭和ケタの人たちは、親から引き継いだものがないという。
子供時代(親にごはんを作ってもらっていた時期)は、豊かでなく、戦争も始まり、落ち着かない日々。
中学、高校時代は、食糧難。
社会に出て親から離れれば、日常生活で親から受け継ぐこともない。
母の得意料理が、伝統的なものでないことに、違和感を感じていたのは、そこに理由があったのかもしれない。
そしてまた、母から私への引き継ぎもなかった。
母は、教育ママではなかったが、料理を教えることよりも、子供の勉強時間を作り出すことの方が大事だと思っていたのだろう。
私が興味を示した場合も、ほとんどやらせてくれなかったし、手伝わせようともしなかった。
手伝わせると、かえって邪魔になるのも事実だったから、それを避ける意味もあったのかもしれない。
そんなわけで、私はほとんど料理ができないまま主婦になった。
そして、自分が主婦になったばかりの頃、頼りにしたのは、村上昭子、小林カツ代、有元葉子。ここ10年くらいは、高山なおみ。
結婚して数年は、オレンジページをかかさず買って、スクラップした。
NHKのきょうの料理も、一年間はテキストを買って番組を見たし、その後も、金子信雄の楽しい夕食など、いつも録画していた。
自分では、料理は好きだと思っていたし、そこそこ普通の料理はしていると思っていたのだが、実はそうでもないことが、20年後くらいに発覚する。(この話をすると長くなるので割愛)

自身は、西洋料理へのあこがれとか、華やかな料理には、あまり興味がなかった。
それでも、結婚当初は、お客様が来たら、とか、誕生日には……などという夢もあった。
しかし、もてなさないといけないような客は滅多に来ないし、いざ来るとなっても何を作ればいいかわからず、不本意な料理でお茶を濁していた(気心の知れた友人は除く)。また、誕生日に頑張ってみても、夫は全然喜ばないし、いつしかお客が来ることもなくなり、ハレの料理、ごちそうは、作る必要がなくなった。

小林カツ代は好きな料理研究家だった。
いんげんと豚肉のしょうが煮は、今でもうちの定番レシピ。
ひとつの鍋で、ポトフと肉ロールができあがるもの(たしかきょうの料理の「20分で晩ご飯」)も、忙しい頃良く作っていた。
一方、タイトルにあるもう一人の料理研究家は、私の中では天敵(失礼!)だった。(こちら参照

家庭料理を支える仕事として成り立ってきた「料理研究家」。
女性(主婦)の助けとなるものから、生きていくために食べるすべての人を支える立場に変わってきている。
家庭の家事分担は、もめ事の種ではある。
しかし、食べることは生きること。ひとり暮らしでも、食べて生きていかねばならない。
男でも、女でも、そうでなくても、人間は、生きていくためには、ごはんが必要なのだ。
外食、中食もあるけれど、色々な意味で、それだけでは足りない。
そこをサポートしてくれるのが、これからの料理研究家なのかもしれない。

ラベル:本2019
posted by きるしゅ at 22:16| Comment(0) | 日常1810〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月11日

「小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代」の前に

きわめて個人的な読後感



この本のタイトルは「小林カツ代と栗原はるみ」で、内容は「料理研究家とその時代」と副題にあるとおり、料理研究家論なのだが、読む前、そして読み終わってからも、「○○と○○」(対照的)という点で、個人的なイメージは「有元葉子と栗原はるみ」である。

以下の文は、本の内容とはほとんど関係がないのだが、思ったことを正直に書く。中には気分を害される方もいらっしゃるかもしれないが、ご容赦いただきたい。(文中、敬称略)

1990年代(個人的には結婚直後〜約10年)、「カリスマ主婦」という名称が生まれ、双璧をなすのが有元と栗原だった。
どちらのファンであるかで、主婦としてのスタンスが見きわめられたりもした。
私はといえば、ひとことで言えば有元派だった。
作りたいと思う料理は彼女のレシピの方だったし、おせち料理も彼女のレシピを使った。
著作の「わたしの日常茶飯事」、「ためない暮らし」(こちらはかなり後になってから)なども興味深く読んだ。
ただ「カリスマ主婦」とは、料理だけでなく暮らし全般をお手本にするようなものだったが、料理以外の部分は、有元についていくことはしなかった。
後述とは矛盾するが、当時から彼女の生活は、栗原よりも、一般的な暮らしからは現実離れしていたように思う(記憶が確かなら、すでにイタリアでの生活をしていたり)。
あこがれはしても、そのままを真似することは、したくても難しかったかもしれない。
それでも私は「有元派」だった。
はっきり言おう。ファンの方には申し訳ないが、当時私は栗原が大嫌いだった。
彼女の料理には必ず「家族」がついて回った。
家族のために作り、家族がおいしいといってくれる、それが幸せ、というようなことを、いつもいつも言っているのが鼻につき、腹立たしくさえ思えた。
当時、私は子供ができないことに悩んでいて、不妊治療もしていた。
また、自分では一生懸命料理はしていたつもりだったし、それなりの味だったと思う(友人に振る舞った料理は普通には通用していたし、いまだに当時の料理をほめてくれる知人もいる)。
ところが、夫は私の料理を一度たりともおいしいと言ったことはなかった。さらに痛恨の一撃だったのは、彼が初めて「バツグンにうまい」と言ったのは、それまで手作りしていたそばつゆを、市販に切り替えた直後だった。
欲しい「家族」は増えないし、「家族」はちっとも応えない。
彼女が言う「家族(夫と子供)のために作れば」「家族は応えてくれる」という法則はでたらめとしか思えなかった。
料理を作るだけなのに、そんなに「家族」「家族」言うな!それが本心だった。
さらに、これはもう、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い的に聞こえてもしかたないのだが、私はもともと、襟ぐりが大きくあいた服とボーダー柄が嫌いだった。もっといえばソバージュヘアの人も苦手だった。運悪く彼女はそれらがすべて当てはまってしまっていたのだった。

いつしか「カリスマ主婦」という言葉は聞かれなくなり、最近は有元をTVで見かけることはほとんどない。栗原は時々見かけるが、ある時期を境に、私が嫌悪していた栗原とは違った面が見られるようになった。
栗原が変わったのか、私が変わったのかは定かではないが、彼女のTV番組を見たり、たまに「haru_mi」を購入するまでになった。(一番大きな理由は、半分冗談ではあるが、ソバージュでなくなったからかも)
それでも、「家族のため」は、私にとって今でも呪いの言葉ではある。
私が気に入って定番にしたいと思った彼女のレシピも、夫には不評だ。
だが、そこはもう、あきらめた。有元であれ、栗原であれ、私は彼女たちにはなれない。
なれない、というのは、真似できないという意味ではなく、「私は私である」ということ。「私は私でよい」ということ。
自分自身のあり方、家族との距離、つきあい方。それらは、自分が納得して、自分が思うとおりに突き進むしかない。思うとおりに生きればいいのよ。あれ、ターシャっぽくなった?
ラベル:本2019
posted by きるしゅ at 11:10| Comment(0) | 日常1810〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする